大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)末期に、自己を犠牲にしてまで、祖国日本を守ろうとした神風特攻隊員の英霊には素直に敬意を表します。
実は、私の父もあとひと月も戦争が続いていたら、特攻に出撃する運命だったので、無関心でいることはできません。
最初の写真はとても有名なものですが、出撃を前にした特攻隊員たち、まだ17歳から19歳、あどけない表情です。
あとわずかしか命がないのに、飛行場に迷い込んだ子犬を可愛がる心優しさあふれる笑顔には感慨深いものがあります。
しかし特攻隊員を待ち受けていたのは苛酷な運命でした。多くの特攻隊員は目的を果たす前に次々に撃墜され、無念の死を遂げました。
それでも米軍には大きな恐怖と損害を与え、米兵の中には精神に異常をきたす者まで現れました。 それほど壮絶苛烈な攻撃だったのです。
そして、無線機を通して基地に聞こえてきた、特攻隊員たちが突入直前に最期に発した言葉の多くは、決して「天皇陛下万歳!」なんかではなく、「お母さ~ん!」だったそうです。
ところが、こうした神風特攻隊員たちの悲運を、お涙ちょうだい式に美化して見せ物にし、軍国的思想を煽る施設があります。 「靖国神社」付属の戦史博物館「遊就館」がその一つです。 その醜悪な見せ物小屋「遊就館」と「靖国神社」は、亡くなった隊員たちの崇高な遺志を裏切る愚劣なものでしかありません。
参照:→ http://ameblo.jp/hirai-h/entry-11628819679.html
さらに、特攻隊員についてこんな誤解をしている人もいます。
・・・「自分たちの身を挺してまで、誇り高く勇敢に戦いぬくことができたのは何故か、それは日本国民が天皇陛下を中心に心を一つにして、まとまっていたからです。」・・・
実は、天皇を中心とする「国体」を護持するために特攻を志した隊員なんていません。 自分の愛する家族と祖国日本そのものを守ろうとして果敢に出撃していったのです。 本音では天皇裕仁(ヒロヒト)のことなんか、これっぽっちも頭になかったというのが真実です。(これは父から聞いた話とも符合します。)
© 2013 HIRAI HIROAKI