明治天皇(第122代) 睦仁(むつひと) 1852.11. 3-1912. 7.30 在位1868. 1.30-1912. 7.30
大正天皇(第123代) 嘉仁(よしひと) 1879. 8. 31-1926.12.25 在位1912. 7.30-1926.12.25
昭和天皇(第124代) 裕仁(ひろひと) 1901. 4. 29-1989. 1. 7 在位1926.12.25-1989. 1. 7
青年時代の裕仁 ヨーロッパ旅行時のものと思われる。
陸軍を閲兵する天皇裕仁(先頭に乗馬の人物)
旧憲法では、天皇は国家元首であると共に、陸海軍の統帥権者(最高指揮権者)でもあった。
現天皇(第125代) 明仁(あきひと) 1933.12. 23- 在位1989. 1. 7-
東日本大地震に際して、ビデオメッセージを読み上げる天皇明仁 2011. 3.16
東日本大震災の避難所を見舞う天皇明仁・美智子夫妻
避難所を視察して回る天皇明仁
避難所で被災者から話を聞く天皇明仁・美智子
夫妻
20年ぶりに社交ダンスを披露する天皇明仁・美智子夫妻 2013. 4.12
学生(学習院)時代の明仁
次期天皇候補 皇太子徳仁(なるひと) 1960. 2. 23-
【菊タブーと天皇崇拝主義者の主張】
このブログは、いわゆる「菊タブー」を一切気にせず、「天皇なるもの全て」に対して批判的な内容を綴っています。 そのため、天皇崇拝思想や皇国史観、国粋思想、保守右派思想を持つ人たちから、強い非難が数多く寄せられます。
天皇や皇族、天皇の制度や伝統を批判するなど、彼らにとっては、言語道断、到底許せない「不敬」極まりないことのようです。 中には電話で「命の保証はないぞ。」というような脅しすらありました。
彼ら天皇崇拝主義者の主張によると、天皇の血統(皇統)は、紀元前660年、初代神武天皇以来、今日まで男系の万世一系で125代、2763年間も連綿と継承されてきたとのことです。
【万世一系は確証が無く、伝説に過ぎません】
しかし、「紀元前660年」、「初代神武天皇」、「男系」、「万世一系」、「125代」は、いずれも科学的根拠も歴史学的根拠も無く、神話的伝説の域を出ません。
実際には、4世紀頃に国内を武力統一した豪族の長(崇神天皇説が有力)が大和朝廷を開き、以後天皇の血統は、何度か断絶した可能性があると考えられています。
【明治以降の各天皇に対する寸評】
《明治天皇睦仁》 幕末明治維新で倒幕派によって、軽くてパーな御輿(みこし)として担ぎ上げられただけ。
《大正天皇嘉仁》 不幸にも病弱なうえ知的障害があったため、政治上の実績は無し。
《昭和天皇裕仁》 形式的面が強いとはいえ、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)の最高責任者でありながら、優柔不断で無能をさらけ出す。 さらに戦争責任にも自覚無く、最後まで逃げ通した。
日本記者クラブ主催の公式記者会見(1975.10.31)で原子爆弾投下について問われ、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。」と他人事のごとくにべもない返答。
さらに戦争責任については、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」と厚顔無恥とも言える呆れた回答。
詳細は、http://ameblo.jp/hirai-h/entry-11587135933.html をご覧ください。
《現天皇明仁》 凡庸を絵に描いたような人物。 被災地を見舞うこととテニスぐらいしか能がない。 つでに同氏の長男で次期天皇候補皇太子徳仁について言えば、妻と娘に振り回される「いい人」だけが取り柄のとっちゃん坊や。
【天皇を敬うことは、愛国者であるための必要条件では絶対ありません】
私は祖国日本を心から愛する愛国主義者ですが、これらの天皇を尊いと思い尊敬したことなど一度もありません。 尊敬するに値することが天皇には全く見当たらないのです。 天皇を敬うことは、決して愛国者であるための必要条件ではありません。
天皇を敬愛してやまないという方々は、何ゆえ天皇を尊いと考え尊敬しているのでしょうか。 理解に苦しみます。
【万世一系を盲信し、その歴史の重みが尊いと主張する竹田恒泰氏】
天皇崇拝主義者と言えば、旧皇族子孫で明治天皇の玄孫(孫の孫)であることを売りに、最近テレビはじめ各種メディアによく登場する作家で学者の竹田恒泰氏なる胡散くさい人物がいます。 同氏は、国の統治者となった天皇の家系が2千年以上、男系で125代も続いてきた、万世一系の歴史の重みが自体が尊く、日本の伝統・文化そのものを形成すると強く主張。 彼を評価する右派保守論客の渡部昇一氏も同様のことを言っています。
【天皇の本当の歴史、 ほとんどの時代 一般庶民は天皇に全く関心がありませんでした】
しかし天皇は、古代に豪族の長として日本を武力統治し大和朝廷を成立させた後は、鎌倉武士政権時代に入り、完全に権力を失い権威も失墜、以来明治維新までずっと実質死に体のまま、一般庶民には忘れ去られた存在でした。 明治維新から敗戦までの期間だけ、旧憲法の下に形式的な皇帝に一時祭り上げられ、政府が国民に尊崇を強制したものの、敗戦、現行憲法でまた元の死に体に戻ったのが実情です。
こんな天皇が、尊いもので日本の伝統・文化そのものとは、よく言えたものです。 天皇崇拝主義者の思想は、戦前の天皇尊崇政策の残滓に過ぎません。
© 2013 HIRAI HIROAKI