上の写真は、73年前のきょう(1945年8月15日)の皇居(宮城)前の様子を捉えたもの。
ある人の説明によると、「陛下、我々の努力が足りず戦争に負けました。誠に申し訳ないことでございます。」と、土下座して謝る臣民(天皇の家来)の姿だという。
しかし本来なら、天皇裕仁こそが土下座し、「愚かな戦争を開始し、なかなか止めることができず、たいへんな苦痛を与えてしまった。」と、国民に謝罪すべきだったはずだ。
戦前戦中は、形式的側面はあったものの、天皇は日本国の唯一の統治権者でありかつ日本陸海軍の統帥権者(最高指揮権者)の地位にあった。
にもかかわらず、戦争責任に関する処分は、天皇裕仁の部下にあたる東條英機ら7名が極東国際軍事裁判で死刑判決を受け処刑されたのみで終わり、裕仁自身は米軍の占領政策上の都合で戦犯指定を免れ、幸運にも生き残る。
裕仁はそれをいいことに、戦争の「説明責任」すら果たすことなく、戦後の平和な時代をノーテンキに満喫し、敗戦から43年あまり後の1989年1月7日、87歳で天寿を全うした。
その間1975年10月31日の日本記者クラブ主催の記者会見では、記者からの戦争責任についての質問に対し、裕仁は「戦争責任は言葉のアヤ。自分は文学方面に詳しくないので分からない。」という趣旨の、まるで茶化したような返答をし、さらに記者から原爆投下について聞かれると、「気の毒ではあるが、戦争中のことであり、やむを得ないことと思う。」と言い放つ。 当然この発言は物議を醸し、被爆者団体からの抗議の声が上がった。
今はこの件については、タブーになっているようで、ほとんど表に出てこない。記者会見の模様を収めたビデオ画像もありYouTubeなどに何度もアップされるが、その都度削除されているようだ。
しかし、記者会見の文書記録は現在も日本記者クラブに保存され公開されているのでご覧いただきたい(4ページ目)。⇒ <font color="#0084b4">https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/opdf/120.pdf</font>
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