富国強兵をアジアでは最も早く遂げた日本は、欧米に代わり、アジアの盟主として君臨し、アジア全域を、天皇を頂点とする統治体制に組み込むことを目指しました。 それゆえ次第に、米・英・中華民国・オランダと対決せざるを得ない状況に追い込まれます。 決して「欧米に虐げられたアジアを、その支配から解放するのだ!」といった高尚でお人好しな動機で行なわれたものではありません。
1911年(日韓併合の翌年、清朝滅亡中華民国成立の前年)のアジアの勢力図
アジアのほとんどは欧米列強の支配下にありました。
1936年1月(日中戦争勃発の1年前)のアジアの勢力図
この時点でもアジアの大部分は欧米列強の統治下にあります。
中華民国は成立したものの、内紛が絶えず、中国大陸での利権獲得をめぐり欧米と日本の思惑が交錯。またソ連による共産勢力の進出に各国は警戒心を抱きました。
上の二つの図からも想像できるように、日本も、徳川幕藩体制を続けていたら、欧米の植民地になってしまったでしょう。
しかし、明治維新による近代化や中央集権国家体制の整備・軍備増強がそれを阻止しました。
特に日清戦争(1894年)日露戦争(1904年)の勝利、さらに満州事変(1931年)と日本の傀儡国家満州国の建国(1932年)が、ロシア(後にソ連)の日本への侵攻を食い止めたのは大きな意義を持ちます。
それによって、国内の諸問題(不況・失業・治安悪化・資源不足等)の解決を図ろうとしたのです。
この目的達成のため、「八紘一宇」「大東亜共栄圏建設」の標語のもと、「天皇」「靖国神社」「皇民化政策」が最大限利用されました。
こうして日中戦争(支那事変)勃発(1937年7月7日)から始まり日米戦争突入(1941年12月8日)へと拡大した大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)は、日本が、自衛の域を超え、欧米の植民地獲得競争に遅れて割り込もうとして叩き出された戦いと言ってもよいでしょう。
したがって、右派論客の決まり文句「日本が戦ったおかげで、アジアは解放された」は正確ではありません。「日本が戦って負けたおかげで、アジアは解放された」のです。
追記:日本が敗戦後、それまでの過去を教訓として平和国家の建設に努め、アジア諸国に対してODA等平和的手法で支援を続けてきたことが、今日のアジアの実質的な解放と繁栄をもたらしたと言えます。
その点を、現在の中国・韓国・北朝鮮の政府は理解しない(政治的理由でしようとしない)ところは、極めて残念で腹立たしくもあると言わざるを得ません。
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大東亜戦争(アジア・太平洋戦争) 敗戦から70年
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