1930年代半ば、それまで国公認の主流学説だった、天皇を国家内の一機関と捉える天皇機関説、これを不敬として一転排撃する国体明徴運動が 軍部と右翼の強大化とともに起こりました(1935年~)。 これが日本の政治の重大な転機となります。 この大転換に沿い政府は、国体の本義の公表しました(1937年3月)。
結果、それまで曲がりなりにも機能していた立憲君主制の理念が崩れ、万世一系の天皇が現人神として超越的に国家の上に立ち、天皇への絶対的忠誠を国民に強制する形で日本国家の統合を図るという方式に変質して行きます。
古事記・日本書紀の内容が無批判に取り込まれ、天皇裕仁は、神国日本の忠君愛国の偶像となり、ナショナリズムを高揚させます。 それに伴い民主主義的傾向は影をひそめて行きました。
こうした状況下、かねてからの統帥権干犯問題もからみ、1936年2月26日、北一輝 の思想と指導のもと、天皇親政を実現すべく、陸軍青年将校らが武装決起しました( 二・二六事件 )。
結局、この武装決起は反乱とされ失敗しますが、事件を機に、以後むしろさらに軍部の影響力が増大し、軍首脳は、天皇への上奏とその自動的認可を利用する方法で強大な権力を得ます。
こうなるともう、中国への本格軍事侵略(1937年)、対米戦争の強行と敗退(1941年~)、玉砕や特攻など非人道的無謀な作戦遂行(1944年~)、国体護持のためポツダム宣言受諾の躊躇(1945年7月~)、そして敗戦(1945年8月)、こうした道筋に抗うことはできなくなりました。
二・二六事件 1936. 2.26~29 天皇親政の実現を目指し失敗するも、以後の政治に与えた影響は大きい。
実は、天皇は日本の一貫した伝統なんかではなく、その時々によって、さまざまな形で利用されてきた受動的な存在に過ぎません。 似非の権威を張り付けた空洞の張りぼてにも見えます。
30年ないし50年先の日本を思うと、またどんな形で天皇が利用され、国難を招くか大きな不安を覚えます。 天皇・皇室やその支持者こそが、日本を貶める危険性があります。
従って、天皇・皇室は、日本の将来の幸福のためにできるだけ早く廃絶すべきです。
幸い今の国民のほとんどは、彼らのことを、心の奥底から本気で敬ったり畏れ多いなどとは、考えていませんから。
国民に敗戦が知らされた日の皇居前広場。 再びこんなことが起こらないように願いたいものです。
そうした中、こんな能天気で的外れな考えを表明する人物がいます。
『皇室の存在は日本の伝統と文化そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。
この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになるのであって、天皇・皇后が何回も被災地に足を運ばれ、瓦礫の山に向かって腰をおられて、深く頭を下げられた。
あの姿を見て、多くの被災地の方々は癒された思いだと語っておられたでしょ。
あれを総理大臣とかね、私たちがやったって、それは真似はできないんですよ。
二千年以上経って、ひたすら国民の幸せと安寧を祈ってきた皇室の圧倒的な伝統の力なんですよ。』
現首相安倍晋三氏です。(首相再登板前の2012年5月20日の発言)
むろん同氏だけでなく、平沼赳夫衆議院議員ら「日本会議」や「皇室の伝統を守る国民の会」などに所属、同調する右派保守系の人々も同様の過ちを犯しています。
現在の天皇 明仁 一家。 安倍首相の言うように、はたして彼らが「日本の伝統と文化そのもの」であり「圧倒的な伝統の力」など持っているのでしょうか? とてもそんな風には思えません。 大半の国民もそうでしょう。
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