現在の天皇制度が成立してから4代目の天皇 明仁(あきひと)氏 80歳 1933.12.23-
天皇一家
( 子供版 )
きょうは、天皇について、学校ではあまり教えてくれないことをお話しします。
実は、天皇が政治の中枢で権力と権威を持ち、文化の担い手ともなったのは、千数百年前のほんの一時期(飛鳥奈良、平安時代初期)だけです。
その後は天皇はそれらを失い、落ちぶれ王侯貴族として細々と京都で暮らすのみでした。 代わって力を得て時代を担ったのが武士です。
戦国時代などは、京都の天皇の住まいは荒れ果て、朝廷の日々の生活も困窮するありさまでした。
それが実態だったので、江戸時代以前は、一般庶民にとり天皇は畏れ(おそれ)多いとか敬うという対象では全然ありませんでした。 領国の大名領主や徳川将軍の方に強い関心がありました。
ところが幕末維新で、薩摩藩・長州藩を中心とする倒幕勢力が、徳川幕府に対抗するため、軽くてパーな御輿(みこし)として天皇を担ぎ上げる作戦に出ます。
次いで長州藩が主導権を握った明治政府は、中央集権的な権力基盤を固めるため憲法(大日本帝国憲法)を制定、天皇を形式上の主権者とするとともに、天皇崇拝を強制する政策を推進し、新たな天皇制度を構築します。
こうして、天皇の名の下に対外戦争ができる態勢を整えました。 靖国神社の創建もその一環です。
このように一面では、明治政府が、新たに天皇を形式的な中心に置く集権国家体制を固めることで、西欧列強からの侵略に対抗しようとしたことも忘れてはなりません。
こうしたことによって初めて天皇が一般庶民に広く知られるようになりました。 (結果この新たな天皇制度による天皇は、明治・大正・昭和各天皇と現天皇の4人です。)
つまり日本史上初めて一般国民の間に、天皇の存在を知り天皇を崇敬するという意識が生じたのは、たかだか明治以降のことであり、しかも政府による強制政策の結果でしかないのです。
(つづく)
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