ネルソン・マンデラ氏(南アフリカ共和国元大統領)が亡くなりました(12月5日)。
同氏に対してであれば、私は大いに敬意を表します。 心から尊敬し、亡くなったことを深く悼みます。
しかしこの写真の人たちにはどうでしょうか。 敬意など微塵も湧きません。
この国王・王族たちのどこが「尊敬に値する」というのでしょうか。
『アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いた。』、ネルソン・マンデラ元大統領氏のノーベル平和賞の受賞理由です。マンデラ氏は、白人政権からの弾圧・投獄に不屈の闘志で戦いました。 しかも平和的に。 これは多くの人から見て「尊敬に値する」偉業と言えるでしょう。
一方この写真の国王・王族たち、建前上は「尊敬に値する」とされています。
しかし、例えばその中のひとり天皇明仁(あきひと)氏は、何か「尊敬に値する」偉業を成したでしょうか、英雄的な功績があるでしょうか。 彼は、たかが千数百年前日本を統治した豪族の子孫というだけの存在。 そんなことに何の価値もありません。 むしろ悪用される懸念さえあります。
極論すれば、明仁氏は税金で「天皇」の役を演じるだけの凡庸な穀潰しです。 私は尊敬の念など持ちようがありません。 彼が死んでも悲しみも悼む気持ちも全く起きないでしょう。
実は国民の大半も、建前はともかく、「本音では」そう思っています。
他方異論として、二千年近い世界最古最長の万世一系の天皇の血統自体が「理由無しに」尊いのだという尊皇思想があります。 しかし天皇の血統が他よりずば抜けて有能・優秀だというなら分かりますが、過去の歴史や現状を見ても、そんな事実はありません。
また単に芸能アイドル的存在と捉え皇室ファンになる人たちもいます。
さらに明治初期から敗戦までの70年余りの間、旧憲法の定めで、天皇は国を統治し神聖にして侵すべからざる存在と規定され、不敬罪まで設け天皇への崇敬を強要するという、日本史上極めて特殊な状況が作られました。
それは明治以前には無かった国家意識というものを、天皇を偶像にすることで速成する目的からでした。 明治維新後、欧米列強に伍するため、国家主義の確立が急務となり、その中枢として天皇制を据えたのです。
しかし現在はその必要がないことは明白です。 ところが今もなお残滓として影響を与えています。 (当然現在は旧憲法も不敬罪も廃止となっていますが。)
この写真に写っている他の国王・王族たちにも同じようなことが言えるでしょう。 (外国についてはとやかく言うべきではありませんが)
なお、きょう(12月23日)は祝日天皇誕生日(80歳)ですが、私は全く祝う気になりません(祝うべき理由が何もありません)。
© 2013 HIRAI HIROAKI