68年前のきょう(8/6)、広島の一般市民の暮らす市街地が、米国の原子爆弾の実戦での実験場となり、上の写真のような惨状となりました。
これに関して、昭和天皇裕仁氏は、1975年10月31日、訪米から帰国した際に行なわれた日本記者クラブ主催の公式記者会見で、記者からの質問に対し、次のように回答しました。
【秋信利彦記者の質問】
天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
【昭和天皇裕仁氏の回答】
原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
[ 記者会見時の映像(抜粋) YouTube]
→ http://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A&NR=1
→ http://www.youtube.com/watch?v=4b6VuxlBUYI
[ 記者会見全記録 PDF (4ページ目に該当の記録あり) ]
→ http://www.jnpc.or.jp/img_activities/img_interview/img_specialreport/specialreport_19751031.pdf
昭和天皇裕仁氏は、大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)の最高責任者でありながら、原子爆弾による一般市民への無差別大量殺傷に対して、「・・・・やむを得ない・・・・」の言葉で片付けました。
まさに昭和天皇は、無責任、愚劣極まりない唾棄すべき人間のクズと言ってよいでしょう。 原子爆弾の投下命令を下した米国首脳や爆撃機の搭乗員らと同じように、彼は何の痛痒も感じていないようです。
事実この後、被爆者団体などが抗議する事態になったのは、当然の成り行きでした。
なお同日の記者会見で昭和天皇裕仁氏は、戦争責任についても記者から問われ、信じがたいような厚顔無恥な回答をしています。
【中村康二記者の質問】
天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
【昭和天皇裕仁氏の回答】
そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
[ 同じく記者会見全記録 PDFの4ページ目に該当の記録あり ]
裕仁氏は戦争責任を、「言葉のアヤ」、「文学方面」の問題と考えているのでしょうか、もしそうだとしたら、敢えて正真正銘のバカと言う他ありません。(何か別の意図があったのかも知れませんが。)
© 2013 HIRAI HIROAKI