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一般庶民が天皇を知ったのは、たかだか明治以降、政府・軍部が天皇崇拝を強制したからに過ぎません。

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崇神(すじん)天皇 (3世紀頃?) 実在可能性が見込める初めての天皇と言われています。

わたしの意見


※ この二人の間は、系図上は血が繋がっていることになっていますが、系図などいくらでも捏造できるので、信憑性はありません。


現天皇明仁(あきひと)氏 (1933.12.23- )    2013. 5. 9 春の勲章親授式にて わたしの意見


日本を最初に統一的に支配したのは、現天皇明仁氏の先祖※にあたる崇神天皇(3世紀頃実在した可能性がある)と考えられています。
崇神天皇以降の古代期は、天皇王朝が政治を担った可能性が高いと言えますが、平安期に入ると力を失い、鎌倉武家政権の成立によって完全に権力も文化的影響力も失います。


一時 後醍醐天皇が政権を奪還しますが(建武の新政1333~1336)、すぐに失敗し武家政権に戻りました。


その後天皇が政権を握ることは二度となく、室町時代以降、落ちぶれ王朝として京都の片隅で細々と生き延びます。 戦国時代には日々の生活にも困窮するほどでした。

江戸時代も没落状態のまま、徳川家の指示に従い、形式的に征夷大将軍等の官位を授けることと年号を定めることだけが役目となります。

もはや天皇王朝は、政治的にも文化的にも全く表舞台に出ることはなく、民衆から忘れ去られた存在でした。


それが突然脚光を浴びるようになったのは、幕末から明治にかけての政権交代によってです。 この幕末明治維新で反幕府勢力が、軽くてパーな御輿として天皇を担ぎ上げ、倒幕の道具として活用したのです。


明治から敗戦までの旧憲法下でも、天皇は専制君主ではなく立憲君主であり、実質的に政策を決定していたのは政府と軍部です。

政府・軍部は、天皇神格化政策を強制的に推進し、天皇の影響力を人為的に高め政治利用することを狙いました。 しかし敗戦により頓挫します。


長い歴史の中で、このような天皇・皇室が、日本の伝統や文化に大きな影響を与えたはずはあり得ません。

明治以降生じた皇国史観に魅入られた人達がよく口にする、「日本の中心には常に天皇がいて民衆からの崇敬の対象であり続けてきた。」 などというのは、全くデタラメな妄想です。


©
2013 HIRAI HIROAKI


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