後醍醐天皇(1288-1339) 武家政権に反抗し天皇親政を目指すも失敗し敗走する。
「皇室の存在は日本の伝統と文化そのものだ。」 というフレーズは、一見もっともらしく聞こえます。
しかし、それはとんでもない誤った考えです。 多くの人が誤解しています。
天皇王朝が日本の中心で政権を担い文化に影響を与えたのは、およそ千六百年前の古代からせいぜい平安時代中期まです。
その後は武家政権に取って代わられ、急速に力を失い、ほとんどの時代、落ちぶれ王朝として京都の片隅で細々と生き長らえるのが精いっぱいでした。
一時、後醍醐天皇が天皇による親政を復活させようとしました(建武の新政)。 しかし結局支持を得られず、武家の足利尊氏が離反したことで失敗に終わりました。
幕末明治維新になり、天皇は憲法に基づく立憲君主制上の皇帝としてまつり上げられました。 そして人為的な天皇崇拝洗脳政策がとられますが、敗戦とともにそれも終結します。
このように平安後期以降、皇室は政治の中心にも、文化の中心にもいなかったのです。
つまり、日本の伝統・文化の大部分を築いたのは、皇室やその関係者ではなく、武士、町人、商工業者、一般庶民でした。 古代大和政権の時期を除き、皇室はほとんど日本の伝統・文化に影響を与えていないと言えるのです。
だから、日本から皇室が消えてなくなっても、日本が日本でなくなるという心配はありません。
© 2013 HIRAI HIROAKI