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天皇裕仁の能天気

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「 H氏の能天気と  」

 

この絵は私が描いたもので、ある展覧会に他の作品と併せて出品予定のものです。その展覧会が終わったら、これを裕仁の墓に供えてやりたい。

 

76年前のきょう(1945年8月15日)、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)についてポツダム宣言の受諾を、ラジオが裕仁の肉声を流し国民が知りました。(なお法的な戦争終結は降伏文書への調印の1945年9月2日)

 

この戦争中、裕仁は日本陸海軍の統帥権者(最高指揮権者)として、軍部の決定を裁可する立場にあったのです。

よって末端の兵士への命令も「天皇の命令」であり、明治維新以降政府がでっち上げ全国民に叩き込んだ「天皇神性物語」に洗脳されていた人びとは、その命令に抗することはできませんでした。 そのことが多くの悲劇を生んだことは周知のとおりです(その悲劇はこの絵の下部にも表現されています)。

 

裕仁は、敗戦直後GHQの占領政策の都合で戦犯指定を免れた幸運な戦争責任者と言えるでしょう。

名目的形式的な性格があったとは言え、彼に全く責任が無いなどということはあり得ない。それにもかかわらず、戦争の「説明責任」すら果たさないまま、戦後43年余りを能天気に過ごし1989年1月7日87歳で天寿を全うしました。

 

先の戦争について彼が具体的に語ったことと言えば、1975年10月の日本記者クラブ主催の記者会見で、原爆投下について聞かれ 「遺憾で気の毒なことだが戦時中のことなので仕方がない。」、戦争責任をどう考えるかと聞かれ 「戦争責任というのは言葉のアヤ。自分は文学方面に詳しくないのでわからない。」 という認識を示したことぐらいしかない。(記者会見でのこの発言は後日顰蹙を買い、以後この件はタブーになったようです。)

 

戦後重要な職にある多くの政治家や企業経営者が責任を回避し続けたのは、「天皇ですら責任回避するのだから我々も・・・」という意識が働ているのは確実でしょう。

そうした体質は、裕仁が自己の戦争責任を曖昧にしたことによって、戦後一層強まったと言えます。

 

今からでも遅くない。まずは昭和天皇裕仁の戦争責任を究明し明確にして断罪すべきだと考えます。

                                           

 

© 2021 HIRAI HIROAKI 

   

                                                                  

 

※ ご注意! 私の「なりすまし」「ニセ者」など、ネット上の悪質な行為にご注意ください。

相変わらず、私(平井宏明・日本再生投資(株)代表取締役社長)になりすまし、ネット上のあちらこちら(例えば右翼・保守系ブログや政治家・芸能人等の有名人のブログ・Twitter ・Facebook)に、私の名でくだらない愚劣な書き込みをするケースが多数発生しています。 私に無関係な、嫌がらせ、悪ふざけ、他人を騙る虚偽発言、茶化し、暴言、脅迫など悪質なコメントが多数ばらまかれています。

 

また、私が他の多くのブログや各種サイト等で、いわゆる「荒し」を行なっているとか、多数のハンドルネームを使い回して嫌がらせの書き込みをしているなどの虚偽の情報が流されたりもしています。

 

私が政治経済社会問題に関してやり取りがあったのは、竹田恒泰氏とその支援者1名、百田尚樹氏、櫻井よしこ氏、田母神俊雄氏(2014年4月17日分まで。それ以降の書き込みは私の名を騙るニセ者です。)、津川雅彦氏(2014年3月25日分まで。)、大日本皇國氏、衆議院議員長尾敬氏の8名のサイトおよび「BLOGOS」「NEWS PICKS」「iRONNA」「THE HUFFINGTON POST」「アゴラ言論プラットフォーム」「Quora」というオピニオン投稿・議論サイトに限られます。 これら以外のサイトには一切関係していませんのでご注意ください。

 


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